2011年10月18日火曜日

フィールドから見えるもの ①



暮らしを営むオプション 
-ネワールの人生儀礼のフィールドワークから-



 カトマンズでまた保険会社のお世話になった。今回は呼吸器系の感染症である。現地の外国人向けのクリニックで、西洋人の医者に「最近人混みに入ったか」と聞かれた。心当たりとして浮かんだのはある人生儀礼の密着調査だった。

カトマンズのネワール社会では、人が生まれて77年7ケ月7日7時間7分7秒たった瞬間におこなう人生儀礼がある。儀礼後、7親等までの親族が集い、神となった老人を神輿に乗せて街を練り歩き、盛大なお披露目パーティを繰り広げる。知り合いのおばあさんの儀礼に招待してもらったわたしは、ビデオとデジカメを持ち込んで朝5時からずっと密着調査していた。おばあさんの家の前にテントをはった司祭は、儀礼を執り行うため、大きな護摩壇を作って、ほら貝を吹き、生米を捧げ、ぶつぶつお経を唱える。その横で、一挙一動を必死にノートにとるわたし。参加者約800人が入れ替わり立ち替わりテントの中に入ってその様子を見物している。写メをとっている人もいる。


こういう儀礼は、一種の願掛けとして断食をした状態で参加するのが望ましいとされている。わたしもそれに習っていた。儀礼が終わり、神輿の行進に繰り出し、帰還後に家に入るための別の儀礼を見届け、その日最初の食事にありついたのは夕方6時だった。

一列に並んで、チウラ(干飯)や野菜と水牛のカレーを食べる。朝から何も食べず、儀礼の記録や人混みにまみれての行進でヘトヘトになっていたわたしは、その日最初の食事がとてもありがたく、おいしく感じられた。同時に、横に並んでいる参加者たちに対して、同じ苦楽を共にした仲間のような親近感を抱いた。なるほど、この社会ではこうやって、空腹などの経験の共有を通じて、親戚同士の連帯を育んでいくんだな、と勝手に納得していたら、隣にいたおじさんが、「カナコ、そういえばさっきご飯を食べたか?」と聞いてきた。いや、これが初めての食事だよ、というと、おじさんは「食べてないのか!!大丈夫か!!」と少し大きな声をあげ、それを聞きつけた周りの人にわたしは取り囲まれ、山盛りの食事を皿に入れられた。わたしが気づいていなかっただけで、昼ごろにみんな入れ替わり立ち替わり順番にテントを抜けて、まかないご飯を食べていたそうである。おじさんはいった。「ご飯をちゃんと時間通りに食べないと体によくないって、医学的には言われてるんだよ」

テレビやインターネットから、世界中の最新の情報が溢れてくる。その中で確実に変化している、ネワールの人々の時間感覚、身体感覚。
お披露目パーティは、大きなホールを借り切って夜中11時まで続いた。ディスコ風のパーティ会場にて、大音量でヒンディー音楽をかけて踊る人々。おばあさんが子どものときと比べてその形は大きく変わっているのかもしれないが、800人もの人々が丸一日をかけて一人のために集い、食べ、語らい、楽しむという営み自体は、変わらず続いている。
これは、暮らしが変わったというよりは、暮らしを営むためのオプションが増えてきているということなんだろうか。身一つでフィールドに飛び込んでいるように見えて実は保険をかけて来ているわたしと、フィールドでであったネワールの人々とが、重なって見えてきた。


撮影・文: 中川加奈子(関西学院大学社会学研究科)



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